公明党の「国交省指定席」化が国益を腐らせる

公明党

公明党が国土交通大臣ポストをほぼ独占している現実には、私は吐き気すら覚える。中央省庁再編(2001年)以降、民主党政権期を除けば、国交相の椅子はほぼ公明党専用の“指定席”だ。北側一雄、冬柴鐵三、太田昭宏、石井啓一、赤羽一嘉、斉藤鉄夫、中野洋昌――顔ぶれは変われど、20年以上にわたりこのポストが自民・公明の連立取引の道具と化してきた。

なぜここまで固定化されたのか。理由は単純である。国土交通省は道路、鉄道、港湾、住宅、観光、防災まで、ありとあらゆるインフラと地域振興に直結する巨大予算を抱えている。公共事業を一つ動かせば、地元建設業者、観光産業、交通事業者、自治体が一気に潤う。つまり、国交相は「利権と票の源泉」を握る、極めて強力なポストなのだ。

公明党はこの“利権装置”を背景に、創価学会の組織票を支える「実績」を積み上げてきた。道路や橋の建設、鉄道の延伸、観光振興――これらを「自分たちの成果」として支持者に示すことは、党勢維持に直結する。だからこそ、連立政権の交渉において、国交相のポストは絶対に手放せない切り札となってきたのだ。

しかし、この構造には致命的な問題がある。大臣は本来、政策課題に応じて最適な人材を任命すべき存在だ。にもかかわらず、「党派の割り当て」で決まってしまう。結果として、国益や政策ビジョンよりも、「党利と組織防衛」が優先される。これでは、行政そのものが政党の利権下請けに堕してしまう。

実際、中央省庁再編から四半世紀近くが経つにもかかわらず、国土政策の長期的なビジョンや、脱炭素・防災・人口減少時代の地域戦略といった大きなテーマはほとんど進まない。インフラ政策は短期的な票田対策や地元利益誘導に消費され、国土の未来像は語られない。まさに“政治の私物化”である。

自民党内部でも「そろそろ返してほしい」という声は以前から上がっている。若手や一部の実務派議員は、「国交相の人事が政党の取引で自動的に決まるのは異常だ」と口にしてきた。だが、党内の力学と沈黙の慣習によって封じ込められ、大手メディアも深掘り報道を避けてきた。結果、国民の多くは“なぜ同じ党が20年以上も同じ省庁を独占しているのか”すら知らされない。

確かに、歴代の公明党大臣の中には誠実で現場重視の人物もいた。石井啓一前大臣は3年11ヶ月の在任中に治水や鉄道延伸を進めたし、赤羽一嘉氏もコロナ禍の観光支援に奔走した。しかし、個々の努力は評価できても、本質的な問題はそこではない。「特定の党がポストを永続的に握る」という構造そのものが、行政の健全性を腐らせているのだ。

さらに深刻なのは、この構造が「票と利権の自動回路」を作り上げてしまったことだ。国交相を握る公明党が予算や政策を動かし、支持基盤の創価学会に成果を還元する。これにより、組織票はさらに固まり、自民党も連立維持のために依存を深める。こうした循環は「政権維持装置」と化し、政策本位の政治を完全に歪めている。

では、どうすべきか。私は三つの提案をしたい。
第一に、特定政党によるポストの独占を許さない仕組みを整えること。総理は党派の都合ではなく、政策課題に応じて適材を選ぶ原則に立ち返るべきだ。
第二に、国交省の巨大権限を分散させること。公共事業、防災、観光といった分野ごとに権限を整理し、票田や利権の源泉とならない仕組みに再設計する必要がある。
第三に、メディアと有権者がこの問題を「当たり前」と思わないこと。沈黙は癒着の温床だ。声を上げることでしか、指定席化の慣習は崩れない。

私は断言する。公明党が国土交通大臣を独占し続けることは、日本の民主主義の形骸化そのものだ。政党間の取引でポストが固定され、政策よりも組織防衛が優先される。これは民主政治ではなく、利権政治にほかならない。

厳しく言おう。国交相の「公明党指定席化」は、単なる慣習ではなく、日本政治の病巣である。いまこそ、この茶番を終わらせる時だ。国土と未来を政党の私物から取り戻さなければならない。

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