小池百合子都政「イスラム教徒への特別食(給食)提供補助金」は憲法違反ではないか。

小池百合子 都民ファーストの会

小池百合子都知事の下で行われているとされる「イスラム教徒のための補助金」政策が波紋を広げている。報道やネット上で取り沙汰されているのは、都がイスラム教徒の子どもたちに配慮した給食対応や設備投資に対して補助金を支出しているという点だ。具体的には、豚肉を避けるため鶏肉を使用した特別食を提供するための費用、さらには外国人児童受け入れのために、1人あたり毎月9000円が支給されているとのことだ。

問題は単に金額の多寡ではない。憲法との整合性が問われているのである。日本国憲法第20条は、国や地方自治体などの公的機関が宗教活動に関与したり、特定の宗教の維持に公金を使ったりすることを厳格に禁じている。宗教の自由を守るためにこそ、公的機関は中立でなければならない。仮に「宗教的配慮」という名目で特定の宗教団体や信仰者に補助金が支払われているならば、それは憲法違反の疑いを免れない。

給食対応は「食の多様性」や「人権尊重」といった言葉で正当化されがちだ。しかし、豚肉を避けるのは純然たる宗教的戒律であり、それに合わせるために特別な予算を計上することは、事実上、行政が宗教的価値観を優遇していることに他ならない。もしこれを認めれば、仏教徒やキリスト教徒、あるいは新興宗教を信じる人々が同様の要求をした場合にも、行政は補助金を出さざるを得なくなる。宗教的要求が次々と「権利」として通用するようになれば、自治体の財政は破綻し、公平性は崩壊するだろう。

加えて、この制度は「言った者勝ち」の危険性を孕んでいる。特定の宗教を掲げれば、行政から補助が得られるという前例を作れば、悪用する団体が出ることは容易に想像できる。いわゆる「宗教ビジネス」の温床となり、税金が本来の公共目的ではなく、特定の信仰維持に流用される恐れがある。これは民主主義国家としての根幹を揺るがす問題である。

もちろん、多文化共生や外国人の子どもたちへの教育的配慮は重要である。しかし、その方法を「宗教的戒律に基づいた特別扱い」に頼るのは間違っている。文化的背景を理解しつつも、公的制度は宗教から距離を置くべきだ。例えば「アレルギー対応」と同列に論じられる場合もあるが、宗教上の禁忌と医学的必然性は全く別物である。命に関わるアレルギーと、信仰に基づく食習慣を同一視することは、法理上も社会的正義の観点からも混同すべきではない。

小池知事はこの点について明確に説明責任を果たしていない。「人権」や「多様性」といった言葉でごまかすのではなく、憲法との整合性を正面から議論しなければならない。都が公金を支出する根拠を法的に示すことが不可欠だ。それができなければ、補助金の仕組みは直ちに見直すべきである。

税金はすべての都民が等しく負担している。特定の宗教信者にだけ利益をもたらす制度が温存されるならば、都民の信頼は失われるだろう。信仰は個人の自由であり、尊重されるべきだが、その費用はあくまで信者自身や宗教団体が負担すべきである。公的機関がその役割を肩代わりするのは、民主主義の原則にも反し、長期的には宗教と政治の危険な癒着を生みかねない。

今回の件は単なる「イスラム教徒への配慮」という小さな問題ではない。憲法、税金、公平性、そして民主主義の根本に関わる大問題である。小池都政は説明責任を果たし、制度を透明化し、必要であれば速やかに撤廃すべきである。そうでなければ「宗教優遇行政」という汚名は、都政に長く影を落とすことになるだろう。

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