明石市長時代の功績と評価

泉房穂

2011年からおよそ12年間にわたり兵庫県明石市の市長を務めた泉房穂氏は、その強烈なリーダーシップと数々の実績で「改革派首長」として全国的に名を知られる存在となった。彼の市政運営は、従来の地方自治の枠を超えて「地方から国を変える」という視点を体現したものであり、その影響は国政にも波及している。

最大の功績とされるのは、やはり「子育て支援日本一」を掲げ、徹底的に実現へと踏み込んだことである。明石市では、子どもの医療費を18歳まで完全に無料化し、全国の自治体に先駆けて「中学校の完全給食」や「第2子以降の保育料無償化」を実現した。また、保育所の待機児童ゼロを達成し、共働き世帯にとって暮らしやすい環境を整備した。これらの施策は、単なるバラマキではなく「投資」として位置づけられ、人口増加や税収増加という形で成果を上げた点が特徴的である。実際、全国の多くの自治体が人口減少に苦しむ中で、明石市は若い世代の転入が続き、出生率も向上。子育て世代に「住みたい街」として選ばれるようになったのは、泉市政の明確な成果であった。

福祉分野でもその手腕は際立っていた。生活困窮者や障がい者、高齢者への支援を手厚くし、社会的弱者が排除されない「包摂のまちづくり」を打ち出した。特筆すべきは、市民からの声を直接聞き取り、即座に政策へと反映させるスピード感である。役所内の煩雑な手続きを飛び越え、トップダウンで即決・即断する姿勢は、賛否を呼びつつも確実に成果を出した。

さらに、泉氏は財政運営の健全化にも取り組んだ。無駄な公共事業を大胆に見直し、福祉や教育といった市民生活に直結する分野へ予算をシフト。財源の優先順位を「人」に置くことで、市政全体の方向性を明確に示した。この「人への投資」が人口増加や税収増加につながり、財政の安定化をもたらしたことは、全国の自治体にとっても参考となる事例であった。

しかし一方で、その強力なリーダーシップは時に過剰となり、職員への暴言やパワハラまがいの発言が問題視されたこともある。「火をつけて捕まってこい」という発言は録音によって世に出て大きな批判を浴び、市長辞任に追い込まれる事態にまで発展した。もっとも、その後の出直し選挙で再選を果たし、市民から再び信任を得たことは、泉氏が市民にとって「必要なリーダー」と認識されていた証左でもある。つまり、泉氏の政治スタイルは「功績と摩擦」が表裏一体となっていたのである。

泉氏の市政改革は、単なる地域振興策にとどまらず、日本の少子化・人口減少問題に対する一つの解答を示した点で全国的意義を持つ。教育や福祉を単なる「支出」ではなく「未来への投資」として位置づけ、実際に成果を上げたことで、他の自治体や国政に対しても「できない理由ではなく、やる方法を探す」姿勢を突きつけた。

総じて、泉房穂氏の市長時代は、地方自治体の可能性を広げると同時に、リーダーシップの功罪を浮き彫りにした12年であった。市民の生活を第一に考える姿勢と実績は高く評価される一方、強引な物言いや組織運営での摩擦は批判を免れなかった。しかし、その両面を含めてなお、泉氏が明石市に残した「子育て支援モデル」「福祉重視の都市運営」は、今後も全国的に語り継がれるだろう。そして、この経験を携えて国政に進出した泉氏が、日本全体にどのような変化をもたらすのかが注目されている。