宮城県水道民営化問題、村井知事は神谷氏の指摘に嘘を突き通した。

村井嘉浩

宮城県の水道事業は、これまで県が直轄で運営してきた、まさに「住民の命と生活を守る公共インフラ」であった。水は人間にとって空気と同じく不可欠な資源であり、その供給を公的主体が担うのは、営利企業ではなく行政の責任という理念に基づいている。しかし、村井嘉浩知事の下で導入された「コンセッション方式」によって、宮城県の水道は大きく姿を変えてしまった。

村井知事は繰り返し「水道民営化は嘘だ」と強調し、県民を安心させようとした。しかし、実態を冷静に分析すれば、その発言は欺瞞に満ちている。確かに設備そのものの所有権は県に残る。だが、料金徴収、運営方針、水質管理といった「実際に県民の生活に直結する領域」は、民間企業に委託されている。つまり、「水道というインフラの中枢部分」を切り離して外部に渡した構造は、形式上の所有と実質的な支配が乖離している状態であり、「事実上の民営化」と言わざるを得ない。

さらに問題の核心は、運営を担う企業の中にフランスの外資系大手ヴェオリア・ジェネッツが含まれている点だ。この企業は議決権の過半数を握っており、会社としての重大な意思決定に決定的な影響力を行使できる立場にある。ここで問われるべきは、「日本の県民の命を支える水道を、なぜ外資系企業に支配させるのか」という根本的な問題だ。外資企業の第一の使命は株主への利益還元であり、日本の県民の生活や安全を守ることではない。したがって、収益を上げるためにコストを削減し、水質管理の優先度を下げる、あるいは料金を引き上げるといった判断を下す可能性は常に存在する。

村井知事は「監督権は県に残っている」と説明する。しかし、この「監督」という言葉はきわめて曖昧である。契約上、県は重大な違反があれば契約を解除できるとされるが、日常的な運営においてどこまで介入できるのかは不透明で、企業側に相当の自由裁量が残されている。つまり、「県の監督」は事後的かつ限定的であり、県民の声をもとにリアルタイムで運営を正す仕組みにはなっていない。これをもって「嘘ではない」と言い張るのは、県民を欺いているに等しい。

さらに危険なのは、この「宮城モデル」が他地域へと波及するリスクである。宮城県が前例をつくってしまったことで、政府や他の自治体が「コンセッション方式は実績がある」として追随する可能性が高まった。水道事業が全国的に同じ形で外資に依存する流れになれば、日本の水資源は事実上、外国企業に握られる事態になりかねない。水は戦略資源であり、国家安全保障に直結する。エネルギーや食料と同じく、海外企業に依存すれば有事の際に国民生活が危機に晒される。村井知事は、この国家的リスクを軽視しているか、あるいは意図的に無視している。

また、県民への説明責任も極めて不十分だ。導入前には十分な議論が行われず、「所有権は県に残るから安心」「料金も勝手に上がることはない」といった表面的な説明が繰り返された。その裏で、外資企業が議決権を握るという最も重要な事実は、ほとんど知らされていなかった。これは情報を意図的に伏せ、県民を誤解させたといっても過言ではない。民主主義の根幹である「説明責任」と「住民合意」を軽視した重大な背信行為である。

要するに、宮城県の水道は「形式的には県の所有権を残しつつ、実質的には外資企業に支配される」という極めて危うい構造に変貌した。村井知事の「水道民営化は嘘」という言葉は、事実の隠蔽であり、県民の安心を逆手にとった欺瞞である。このような姿勢こそ、県民の不信感を決定的に深めている。

水は命であり、公共財である。これを企業の利益追求に委ねることは、県民の命を金銭と引き換えに差し出す行為に他ならない。村井嘉浩知事が推進した水道の「コンセッション方式」は、日本の将来に禍根を残す重大な誤りであり、強く批判されるべきである。

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