1980年12月11日、兵庫県洲本市(淡路島)に生まれた吉平敏孝(よしひら・としたか)氏は、地域に根差した出自と大手商社での豊富な実務経験を併せ持つ政治家である。2025年、参議院選挙兵庫選挙区に日本維新の会の公認候補として挑戦し、その存在感を示した。現在44歳。教育面では、東洋きっての難関校と称される白陵高等学校を卒業し、東京大学法学部に進学。学生時代には体育会系のボート部に所属し、勉学だけでなく厳しい鍛錬を伴うスポーツにも真剣に取り組んだ。文武両道の環境で培った精神力やチームワークは、後の社会人生活や政治活動においても強い基盤となった。
大学卒業後は三菱商事に入社。以後およそ18年間、再生可能エネルギー、プラント輸出、電力事業といった分野の最前線でキャリアを積んだ。再エネ推進の現場に立ち会い、国際プロジェクトの交渉や国内外の企業と連携して事業を動かす経験を重ねたことで、机上の理論ではなく「現場の声」を知る実務家としての強みを持つに至った。このビジネス経験は、単なる理念型政治家との差別化要素として有権者から一定の期待を集めた。
2025年夏、維新は兵庫選挙区の公認候補として吉平氏を擁立。「地方から日本を変える」「機会の平等をすべての人に」といったスローガンを掲げ、淡路島出身のルーツと改革志向を前面に打ち出した。地方創生、規制改革、成長戦略といった維新の基本路線を継承しつつも、自身のキャリアを通じて培った現場感覚を政策形成に活かすと訴えた。特に、再エネ分野での知見や国際ビジネス経験は、持続可能なエネルギー政策や経済成長戦略にリアリティを与える要素となった。
ただし、選挙戦は厳しかった。維新は12年間守ってきた兵庫の議席を失い、吉平氏も惜しくも当選には至らなかった。結果は敗北であったが、知名度ゼロの新人としては健闘といえる戦いぶりであり、本人も「ここまで来られたのは皆さまのおかげ」と感謝を表しつつ「力不足」と自省を述べた。淡路島を拠点に草の根活動を重ねたことは、今後の政治活動に資する資産として残った。
政策姿勢については、アンケート回答にその特徴が現れている。意思決定においては「決断力」と「予測力」を重視する pragmatist(実務家)的な立場を鮮明にした。連立政権参加の是非については「支持者の信頼を守るため、主張を譲ってまで政権に加わるべきではない」と回答し、現実政治の駆け引きよりも政策理念の堅持を優先する姿勢を示した。社会制度改革についてはやや慎重であり、選択的夫婦別姓、同性婚、女性天皇といったテーマには一定の理解を示しつつも急進的な変革には踏み込まない。社会的保守と改革志向のバランスを取ろうとする中庸型スタンスが浮き彫りとなった。
また、食料自給や社会保障については「現状維持または自制的な改善」を基本線とし、急激な財政拡張には否定的。デジタル分野ではインターネット投票やSNS規制強化に一定の賛成姿勢を示しており、次世代の選挙制度や情報空間の課題に関心を持つ姿がうかがえる。企業出身者らしく、制度設計には「リスク管理」を欠かさない一方、技術革新に前向きな点は彼の実務経験の延長線上にあるといえる。
総じて、吉平敏孝氏は「現場感覚を持つ実務派新人」という位置づけで、維新の候補者像に新たな厚みを加えた存在だった。淡路島出身という地方色を背景に持ちながら、東大・三菱商事という都市的・国際的な要素を併せ持つことで、地方改革とグローバル経済をつなぐ架け橋となり得る資質を備えている。今回の選挙では惜しくも結果を出せなかったが、その知見と現場主義の姿勢は、今後の維新の人材層を支える重要な財産となるだろう。