立憲民主米山隆一が裏金?YouTube収益を政治資金に不記載。赤字なら記載不要?

米山隆一

立憲民主党の米山隆一衆院議員が、SNS発信に伴う収益の政治資金処理をめぐって批判に直面している。きっかけは2025年4月29日配信の番組「ReHacQ」での討論だ。政治学者・西田亮介氏からYouTube収益の扱いを問われた米山氏は「チャンネルは収益化しているが赤字。制作費が上回るので(政治資金には)計上していない」と説明。ところがこの発言自体が「赤字なら収入計上は不要」との誤解を示すもので、火に油を注いだかたちだ。番組はアーカイブで確認できる。

政治資金規正法上、政治団体は「その年における全ての収入・支出」を帳簿と収支報告書に記載する義務がある。黒字か赤字かは関係なく、1円でも発生した収入はまず収入として記帳し、そのうえで支出と相殺される——これが制度の建付けだ。埼玉県選管が公表する作成要領にも「当該政治団体の全ての収入及び支出…その年における全ての収入、支出…を報告」と明記されている。

他方で米山氏は、番組後に自身のXで経緯を補足した。要旨は「認識・説明が誤っていた。収益が初めて上がった2022年分(3万0031円)は報告書へ記載していなかったが、2023年以降は『雑収入』として政治資金収支報告書に記載している。2022年分も修正届を提出した」というものだ。つまり、当初の“赤字だから不記載”というスタンスは撤回し、記載漏れの是正に動いたと説明している。

ここで論点は二つに整理できる。第一に「法的な原則」。政治団体としての活動に関連して生じた受入金は、広告料であれ投げ銭であれ、まずは収入として記載し、その後に機材費・外注費・スタジオ代などの支出を記載する。赤字でも“収入の記載不要”にはならない。これは各選管の様式・手引でも共通の考え方だ。

第二に「帰属の切り分け」。動画広告収入やXのクリエイター収益が(1)政治団体の収入なのか、(2)議員個人の雑所得なのか、の峻別である。政治団体のチャンネル運用として受領しているなら政治資金収支報告書での計上が必要になるし、個人として受領し私的に処理しているなら、その旨の説明と税務面の適正な申告が求められる。今回、米山氏自身は「2023年以降は政治資金の『雑収入』として計上、2022年は修正届」と述べた以上、政治団体側で処理する立場に軸足を置いたと解するのが自然だ。

世論の反応は割れた。ネット上には「政治資金を軽視している」「杜撰だ」とする批判が噴出する一方、「赤字覚悟の発信自体は評価する」という擁護も見られる。ただし後者の評価が成り立つのは、収支を正確に開示していることが前提だ。今やSNS発信そのものが政治活動の中核となり、発信によって政治的影響(票・世論・献金)が生じる以上、そこで動くカネの扱いは“趣味の延長”では済まない。報告書に記すべきは記し、記載漏れがあれば速やかに訂正する——この当たり前の手順を踏むか否かが信頼の土台である。

今回の一件で問われているのは「違法か合法か」以前に、説明責任の姿勢だ。番組時点での「赤字だから不記載」という断言は、法の運用原則と齟齬をきたす言い回しで、誤解を招いたのは否めない。その後に訂正し、2022年分の修正届を出したと明言したのは最低限の対応として評価できるが、残る不信を解くには、(1)どの団体名義でどのプラットフォームから、(2)何年にいくらの収入があり、(3)それに対し具体的に何の費目でいくら支出したのか、明細ベースの開示が必要だ。政治資金の透明性は“言葉”ではなく“帳簿”で示すものだ。

結論。米山氏は「赤字なら不記載可」という誤解を招く説明をした後に、自ら誤りを認めて修正へ転じた。ここから先に求められるのは、収支の連続性を崩さないフルディスクロージャーと、将来の運用ルール(政治団体と個人の切り分け、コンテンツ制作費の計上基準など)の明文化だ。政治家に対する信頼は、立派な主張よりも、数字の整合性で決まる。今回の反省を、継続的な開示と運用改善で証明すべきだ。

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